塾やフリースクールを通して様々なこども達を見てきました。
同時にその親や親子関係も見てきていますが、優秀なこどもとそうでない子にははっきりとした違いがあります。(なにを優秀とするかの定義はここでは割愛します。)
生まれた時の環境や住んでいる場所、通っている幼稚園や習い事など多くの要素の掛け合わせなので、一概にそうとは言えませんが、はっきりと言えることもあります。
親の性格 おおらかで干渉しない
優秀なこども(生徒)の多くが自律しています。
宿題を出すとしっかりとやってきていたり、宿題以外の学習も計画的に自分で進めています。
反対に、宿題をしてこない親はこどもの勉強や宿題、ひどい家庭だと学校へ行く準備まで親がしている事を耳にします。
この傾向は勉強だけではなくコミュニケーション力や探求力など様々な場面で見られます。
こどもをダメにするNG行為
あぶない声掛け「宿題しなさい」「○○準備した?」
宿題をしたかどうかの確認をしたくなる気持ちはわかります。
宿題をしたかどうか確認するだけであれば構いませんが、多くの場合宿題をやっていなかったら、「今からしなさい」「ゲームをする前に終わらせなさい」とこどもを追い込むひと言を付け加えていませんか?
このやり取りを繰り返すと宿題をしない子になってしまいます。
また毎朝「○○を準備した?」と学校へもっていく持ち物を確認しているとまずい事になります。
仮に忘れていた場合は忘れてもお母さんが何とかしてくれる。と思うようになります。(忘れたから持っていくような事は最悪です)
また、自分で用意していた場合、親に信用されていないと思うようになり、こどもからの信頼を失うことになります。
どっちにしてもいいことありません。
こどものやる気を奪うひと言
さらに「あなたは○○なんだから」と声をかけていませんか?
「あなたは行動が遅いから早くしなさい。」「みんなに追いつけるようにい努力しなさい。」などの声掛けは「あなたはできの悪いダメな子だから頑張って人と同じことをしなさい。出来ても当たり前だからホメないけどね」
と言っているのと同じです。
こどものペースに合わせた声掛けが天才を育てる
最近では、発達障害や学習障害と言うワードを耳にします。
同年代のお子さんと比較して「歩きはじめるのが遅かった」「話し方がおかしい」「勉強がおくれている」「集中力がない」などから発達障害を疑い受診する保護者の方も多いようです。
ですが、発達の遅れや話し方・集中力はその子の個性だったりやる気の問題だったりします。
ただ単に歩くことを楽しいと思わなかったから歩きたくなかったのかもしれません。
勉強を教えてくれる先生が嫌いで反抗していただけかもしれません。
こども達を指導していると、こども一人ひとりの能力の差を感じる事がありますが、それに名前を付けて分ける事はセンスがないと思っています。
記憶力が悪いならそれなりの勉強のやり方があるし、それなりの所を目指す方が幸せだと思います。
現代は情報化社会で情報過多なので、へんな情報に惑わされがちですが、お子さんをまっすぐ見てお子さんの成長に合わせてあげる事で、才能をつぶさず伸ばすことができます。
生まれ持った個性(才能)に合わない事を強制すると自尊心をしない自己肯定感が下がります。
私たち大人にできる事は、才能に気づき邪魔をしない事です。
才能を伸ばす手伝いくらいしか私たちにはできません。
才能のあるなしはわからないからこそ、成長を邪魔しない事が大事
「今の時代英語が話せると役に立つから英会話を習わせよう!」それは正しい事だと思います。
ですが、わが子にとって最適か?と言われれば間違いでしょう。
どんな勉強や習い事も本人が楽しんでやれているかが大事です。
英才教育を親のエゴや親の希望を背負わせる形でやっても重荷になるだけです。
親ができるのは楽しそうなものを見せるだけ。
それを選ぶかどうかはその子次第です。
どうしてもその道に進んで欲しかったら、親が楽しそうにやっている姿を見せてお子さんと一緒に成長していきましょう。